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実験、

 思いついたことをもとにして、少し長めに
いつもと違う形で書いてみたくなった。

 思いついた言葉を修飾せず、乾燥させず、
そのまま書いたら、
「僕がいることは僕の実験である」
ということになりそう。
 実験という言葉が、まだ少しもいじられて
いない。いつもなら、曖昧にしていって、語
尾をさくさくと削っていって、自分の文章と
していくはずだとおもう。

 意味ありげにしておいて、意味を絞りすぎ
ないようにして、選んだ言葉でその言葉のも
つ色をつけてしまわないようにしていれば、
僕が予想しなかった含意をもつようになって、
言葉としての機能は、拡大すると思っていた。
 言葉が固まったひとつの固まり、として客
観的な意味をもつのではなくて、たとえ、発
した僕が思いもよらないような解釈をされた
としても、それは、言葉が言葉として独自に
機能したとでも思えばいいのであって、別に
おかしなことでも何でもないと思っている。
 発した責任は、そこにある言葉であり、仮
に凶器になったとしても、それは言葉として
問題なんじゃなくて、その凶器性自体に問題
があるんだ。凶器性を持ち出した僕を反省し
たり、つっぱったりすることがあるかもしれ
ないけど、言葉として、何か問題となってい
るわけじゃない。

 僕が処分できるのは、僕自身だけだ。

 処分というのは、別にどこかに捨ててしま
ったりすることだけを指すわけではない。自
ら身を始末してしまうことだけを指すわけで
もない。僕を、猫かわいがりするのも処分だ
ろうし、見下し果ててどこかに忘れてしまう
のも処分だと思っている。それらを含めて、
処分できるのは、僕自身だけだと思う。
 僕自身しか、僕の自由にすることができな
いということを痛く感じたのは、最近になっ
てからだった。今、考えてみれば、何ともお
かしな話なんだけど、僕自身じゃない他の者
や物に対しても、僕に対するときよりも手間
がかかるだけで、その手間をかけさえすれば、
思ったようにすることができるんじゃないか
とおもってた。

 ほかのヒトやモノをどうこうするのは、と
ても楽しい。面白がってはいけない、とか倫
理みたいにあれこれと考えるのは、好きずき
だし、すべきことかとも思うけど、僕がこの
ことを楽しいと感じるっていうことは、たぶ
ん本当のことだ。
 僕自身のことは、あれこれいじくってるよ
うな気にはなるけど、時がすすんだ、という
たった一つのことの影響以外に、どれくらい、
僕が僕自身に影響を与えているのか、よくわ
からない。ずっと、よくわからないままだ。

 それに対して、ほかのヒトやモノをどうこ
うして、反応が返ってくるのは、その反応が
僕にとって快いかどうかは難しいところだけ
ど、少なくとも僕の内側でごちゃごちゃして
いるよりは、わかりやすいとおもう。
 だけど、そこに出てくるのは、相手のくちゃ
くちゃしたようなところも通り抜けたものだ。
だから、出てきたものがなんなのか、実は全
くわからない。
 うらをきちんと読んだつもりになって、そ
れがピエロじゃない、っていえるのかどうか、
よくわからないのだ。

 楽しいけど、不都合がある。あれこれとあ
がいてみたけれど、こちらは、うまいこと解
きほぐすことは無理みたい。時がたつにつれ
て、相手も経験をつんでいるから、なんか守
りの壁が固くなるみたいに思う。

 ほんとに突き詰めれば、どういう刺激を与
えればヒトはどういう反応をするのか、なん
て、知ったところでどうしようもないことだ
けど、素直に僕の好奇心についていけば、そ
れは僕にとって、大事なことなんだ。

 僕は、僕の感情なんかのココロの部分と、
理屈とかのアタマの部分は切り離されている
と思っている。アタマがココロを、いつもど
うにかできるとは思ってないし、反対にココ
ロはアタマとは別々に変わっていってると思
う。
 まったく関係ないわけじゃないと思うけど、
あんまり実は関係ないんじゃないか、って思
う。もっといえば、本当は、思った以上に関
係なかったら楽しいな、と思っている。

 僕は、どうしても押し通さなければいけな
い、僕の僕たるゆえんの部分というのか、核
の部分というのかが、なんなのかよくわから
ない。
 きっと知らぬ間にそういう風に生きてきた
んだろうし、オヤジも僕の見たところ、あん
まりよくわかってないように思うから、素材
かつ環境で、そうなったんだろう。

 まず、僕が僕自身を相手にして、見極めて
みたいことは、そんな僕が本当にほしいモノ
はなんなのだろうか、ということ。
 次に、どこまで刺激を与え続けて、ヒトと
しての僕自身はとりあえず受け入れていくの
だろうか、どこからはココロ主導に生きるの
か、知りたい。
 僕が、ヒト全体の標準じゃないけど、僕は
当然、僕自身の標準だろうから、どのみち、
僕自身しか、いじれるわけじゃないんだった
ら、それさえ知れば十分。

 一つや二つのヒントで、ヒトについてもよ
くわかってしまうヒトがいると思う。
 でも、僕はそうじゃない。その点、結構、
カンが悪いみたいだ。

 痛い目に遭ってみるのもいいのかもしれな
い。ばかさわぎのように大喜びするのもいい
のかもしれない。

 よくわからないから、しょうがないんで、
いろいろやってみるしかない、って思う。

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