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まつりごと、

社会的な意味での政治ということには、
少なくとも、現時点で、その力の行使については、
まったく縁のないことである。

されど、すべてのまつりごとは、
人間関係からはじまる。

関係が遠い人間に対したほうが、
気を使うものだと、思っていた。

それは、違うのではないかと今は思っている。

近い人間に対するときこそが、
最大の政治力を必要とされる。

個人として、虚勢としての看板をすべて下ろした状態で、
端的にいえば、人格そのもので、政治力を行使しなければならない。

政治力というのは、誠意の反対の言葉ではないと思う。

少なくとも、人に気を使うということが、
最大の政治力の行使である。

人に気を使うことを、わざわざ意識して、
わざとらしくしかすることができないならば、
まさに政治力がないということになる。

最高の政治力は、最高のまごころである。
形式的表面的でない政治力は、
人当たりでは評価される要素とならず、人格に基づく。

すくなくとも人格は一夜にして形成されるものではない。

*

世間的に生きていくためだけであっても、
より充実した日々を求めるための前提としても、

政治力を身につけねば生きていけないと現在は考えている。

私は所詮は社会科学系の人間である。
政治という言葉のあまりに手垢にまみれた状態を知っている。

ところが、その純粋な語義として、
私自身が、その手垢を嫌いつつ、ところが、

本質的なその内容については、
少しでも、現在的に生きようとおもうのならば、
もっとも必要なことだと思うに至っている。

あえて、そのキタナイ言葉を使う。

*

他人同士が、人為的につくった究極のいわばゼロ親等たる親戚関係。

人間関係が限りなく近いといわざるを得ないが、
親戚関係があるわけではないいわゆる義理の人間関係。

極端なまでの親戚関係といえる直接の因果関係たる尊属卑属間の人間関係。

*

もっとも解決しにくい人間関係は、
そこから逃げ出すことによる解決がもっとも図りにくい、
とっても近い人間関係なのだと考える。

その場合、現実として逃げ出して放り出してしまう解決は、
すくなくともそうせざるを得ない人々によって、
開拓されてきているとは思う。

その人たちをなんらかの非難の目で見るつもりは全くない。

なんとなく、解決できる方向性が残されていないわけではないのなら、
そこに、少しは踏み入れてみようという、
私の蛮勇が表面化してきているだけの話である。

*

口先だけではない政治力は、
口先だけではない、生きていきかたにつながると信じている。

そもそもが矛盾を抱えていることは百も承知のはずのこの世の中で、
極端にシビアな視点としての政治的判断を、
形式的ではなく、人格の発現として自然と繰り返していかなければ、

あたたかさは、究極的には、内面的に極端なまでのクールさに依存すると思う。
甘え心の存在することすら、クールに見つめつつ、
それを現実化しないために、考えをはこぶことを私は選びたいと思っている。

政治の行使にいわゆる政治性を感じさせてはならぬ。
自分ほどのクールさ冷淡さを持ち得ない人に気づかれてはならぬ。

見せてはならない世界があることをなんとなく感じ取ったとでも言いたいならば、
その世界の存在を終生、知らぬ顔をして通しつつ、
その世界から、まもってやらねばならぬ。

*

適度に、しょいこむことの難しさを次に残す。



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