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現状の肯定、
今の自分自身とか、自分の回りとかを、
全面的に肯定できるとするならば、
それは、よほど幸せな人間だろうと、
かなり楽天的な私でも、認めざるをえないかと思う。
ところが、部分的には、いくらでも肯定するものはある。
自分のよいところ、まわりのうれしいところ、
楽しいときの過ごし方、ぼけっとしていることのたのしさ。
しりがかきたいときにかけるしあわせ。
自分にとって改善すべきことが、あって、
それを把握していることはすばらしいことだと思う。
しかし、漠然とした自分に対する不安感を持っていること、
漠然とした自分に対する、若しくは他人に対する不満感を持っていること、
そのことは、多分それなりに筋道が通って、正当にそのように思っていると
理屈づけることはできると思う。
しかし、それは部分的な自分あるいは他人のあるいは他のものの、
良い部分と悪い部分とが、整然として分かれているのではなく、
それぞれがモザイク上にかみあわさって存在しているからであるとおもう。
要するに、すべてが悪いことではないけれど、
悪いことが、うまいこと全体に散らばっててんてんと散在しているから、
こちらから向こう側まで行こうとしたときに、
悪いところだけを踏んでいくことができるのだ。
そして、その結果、元の部分から、最後の部分まで一貫して
否定的見解によって筋道立てられた、よろしくない論理を建てることができる。
難しいことをいうつもりはない。
論理というと、そんなものは関係ないと言うことではなく、
一見、論理なんぞとは正反対のものかと思えるような、
感情的至極なことであったとしても、
スジがとおっているということでは同じなのだとおもう。
感情的に恣意的に悪いところだけを踏んで歩く必要はない。
それは、その当たりに同じに密度で同じように散らばっているはずの、
すべての良いことを忘れてしまうと思う。
それは、私にはもったいなくて仕方がない。
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