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7月、(9)
7月27日、火曜日、前半。
札幌に来てから、歩き回ることが多くて、かなりくたびれている、
午前中は、早々と出かける親父を寝ぼけ眼で見送りつつ、
くたびれきって、横になって過ごす。床が固い。
今日は、旭川に向かう。
札幌から特急でほぼ一時間半。
札幌よりも北に位置し、北海道の中心より少し北に位置する
北海道第二の人口を有する都市であるが、
近年、トップの札幌には、顕著に水をあけられている。
札幌駅まで、てくてくと歩いて出かけて、
11時札幌発、特急スーパーホワイトアロー、旭川行き。
昔に比べると、車両が安っぽくなったというか、
特急電車と言うよりも、東海道線より少しましといった感じの車両。
せいぜい一時間半なので、別にどんな車両でも構わないのだが、
それなりに電車がそれなりならば、それなりに出かけた感じがするだろうに、と
さて、今日は、アポイントなしで、旭川に出かける。
電車の発車する前に、こないだ世話になったSに、
旭川に住んでいる連中の連絡先を聞いてみる。
Sも少し待ってくれ、と言いつつ、
自分で、何軒かに電話をしてくれた模様。
すぐには、連絡がつかず、
ま、当たり前といえば、当たり前だが、と思いながら、
電車は、するすると旭川に近づいていく。
12時20分、旭川駅到着。
札幌駅の周辺は、何年か前に、
駅ごと北に、ごそっと移動したために、
あれこれと改修なり新築なりされていき、
だいぶ来るたびに様相が違っているのだが、
旭川駅の感じは、それほど変わっていない。
若干駅前の建物の雰囲気が変わっているというくらい。
駅にひっついている大きな広告の看板が、
やたらとサラ金めいているのが、時勢を反映しているのだと思う。
しかし、どこに行ってもそうだというのも
なんとなく、淋しい感じがする。
ちょうど昼休みの時間帯だろうということで、
中学校で同じクラスだった、Kに電話をいれて、
突然の留守電を吹き込んでおく。
とりあえず、お気に入りのラーメン屋さんで昼飯を食おうとする。
旭川の中心街には、駅の正面から、
買い物公園通り、という常時歩行者天国のはしりの通りがある。
その道を駅から若干北へ。
CDやの地下にあるBというラーメンやに。
昔から、わりと暇があれば来ていた店で、佇まいもほとんど
変わっていないのだけど、
なんだか、旭川ラーメン大賞、だかいうのぼりがたててあり、
とてもいやな感じをうけつつ、店の前まで階段を下ると、
北海道関係の観光案内を持ったたぐいの連中が列をなしている。
ああ、陳腐化しているような。
なんとも、気に入っていたお店だったので、
けがらわしい連中に汚されたような気分になる。
そこまで言わなくてもいいのだが、
久しぶりに帰ってきて、やっとこさ、と思っていたので、
妙に、感情を害していた。
あまりヒトのことはいえない、のかもしれぬが、
で、例によって、普通のしょうゆラーメンを注文。
広義の札幌ラーメンを食べるのなら、
とりあえず、みそラーメン、を注文しておくのが、
よろしいかと思われる。
なんとなく、腹とか金とかに余裕があるときは、
みそバターコーンとかいう、不毛なオーダーの仕方もある。
どうせ、溶けたり、沈んだりするのだが。
同じ、追加料金を払うのなら、チャーシューほうが、具体的に
幸せだと思う。
旭川ラーメンだったら、私はしょうゆ。
非常にどうでもよいことだが、
東京なんかのラーメンやで、トッピングなどと言って、
具を好きに頼める店にであったことがあるが、
私は、嫌いである。
少なくともしょうゆならしょうゆで、
その店のベストの取り合わせ、でがつんと出してくれればそれでよい。
それがおいしくなかったら、もう来ない、というだけの話。
なんか、逃げ腰というか、卑怯を感じる。
それはどうでもいいのだけれど。
で、混んでいる中で、妙に明るい店員のねえさんが、
客を片っ端から捌いているのだが、
並んでいるうちから注文を取るのは嫌いだ。
なんか、嫌いなことばかりだが、
だってさ、せめてカウンターなり、テーブルなりについて、
いざ、と注文する、そして待つ、やがて来る、そして食す。
という、完成された間が乱れる。
現時点で注文したら、席に着く前に後悔しそうで、
とってもいやな感じがする、でもどうせ、
この店にきたときに注文するのは同じなのでいいけど。
で、やがて、席に着く。
わりとぐだぐだと仲間内でしゃべりながら、
ああでもない、こうでもない、としゃべるのが隣に、いましたけど、
いやなら来ないでほしいと思うし、
あんたなんかにおいしいと気安く言ってほしくない、と
入り口付近からの不機嫌が尾を引いていた。
でも、久しぶりにBの普通のしょうゆラーメン、
麺とスープとどっちも良かったす。
しあわせである。
東京のヒトには、もう少し派手目の山頭火でも行っていただければ。
恵比寿とかにあったはず。
とりあえず、おなかがいっぱいになったので、
幸せになってしまい、そこらのベンチでたばこを吸ってくつろぐ。
ちょうど、そのころ、さきほど留守電にいれておいたKから電話。
事情を話して、アポイントもないんだけれど、
今日あたり、夕方は、時間がとれるかどうかをきく。
札幌に戻る最終の特急が、旭川発10時だという話をすると、
少し、遅くなるけれど、時間がとれるよ、と言う話。
会えなかったらどうするつもりだったのさ、というKに聞かれて、
それなりに、回りたいと思ってるところはあるし、
食べたいものは食べられたから、それでもいいか、と思ってた、と
正直なところを告げる。
それでも、せっかく来たのだから友達とあえるのはうれしい。
次には、いつこれるかわからないから、と思いながらも、
冬あたり、もう一度くるのもいいかもしれないな、と少し思う。
とりあえず、ひとつアポイントが取れたのを幸いとして、
卒業した中学校でも見に行こうかと思い立つ。
旭川はそれほど大きくない街で、
駅前から少し北のあたりに、店などがいくらか立ち上る中心街があり、
それ以外のところは、ほとんど住宅街という様相。
中学校時代は、このあたりに出てくるのを、
「街にいくべ」という話をしていた。
その「街」から、冬のあいだ乗り付けていた、12番のバスに乗って、
中学校に向かう。
北海道の教育大学の付属中学で、
学区とは無縁だから、少し遠い。
冬以外は、自転車でしゃこしゃこと通っていたのだけれど、
旭川の冬は自転車で通える状況ではない。
当時の自宅から、いったんバスで「街」にでて、
そのあと、もう一度バスにのって、少しはずれにある中学に通っていた。
中2と中3の二年間。
もともと中学は、同じく北海道教育大の附属札幌中に入学したのだけど、
一年通った段階で、親父の転勤で、旭川に引越。
ちょうど姉妹校というか、同じ系列の附属旭川中があったので、
紹介状だかを書いてもらって、編入した。
旭川は親父の出身地である。
親父は、旭川の商業高校を卒業後、
保険会社に就職。東京に転勤になり、母親と結婚。
そのあと、もう一度転勤で北海道に戻ってきている。
だから私は、東京で生まれたわけだが、本籍は旭川の郊外。
親父が生まれたのは、終戦直後だから、当時の旭川の郊外などといったら、
ひたすら寒かったようだし、何もまわりにない、自給自足的な農家だった。
いつか、父親が生まれた土地を訪ねたことがあるが、
昔とくらべて、まったく開発されていない、という
半永久的に未開の地である。
バスは、あまり変わらない街並みを抜け、
石狩川にかかる端を渡って、住宅街に。
石狩川は、札幌の近くで海にでるのだけれど、
旭川の中心部も流れている。
冬場は、厳しい寒気の中、川面から、もうもうと湯気が立ち上り、
それが、少しづつ空中で凍り付いて、きらきらと光っていた。
中学は、旭川にある自衛隊の広大な敷地の横に立っている。
旭川の自衛隊は、第二次大戦時には、ずっと北方に出撃する準備をしていたのに、
戦況の悪化にともない、まったく逆の南方に派遣され、
ほとんど、帰ってこなかった悲劇的な師団である。
冷戦時代には、北方からの脅威として予想された北海道への侵攻にそなえる
最前線の師団として存在した。
このときの防衛計画としても、北から侵攻してくるソ連軍に対して、
札幌だけはなんとか守ろうという、遅滞戦術をとるべきものと聞いていた。
ようするに、じわじわとやられつつ後退して、
札幌に踏み込まれる前に、青函トンネルを抜けてくる東北の師団と、
米軍の応援を待つという、相変わらず悲惨な位置づけ。
そんな緊張も解けてはいるが、やはり基地の近くには、
北海道護国神社を控え、それなりに、それらしい。
中学校は、昔のまま、若干色あせていた。
建物自体はほとんど変わっていなかったが、
グランドの裏手にあった事実上廃屋だった官舎類がキレイに取り壊され、
グランドが、昔より拡張されていた。
そのせいで、私が昔、ガッコウの帰りにそれなりの
思い出を作っていた大切なあたりが、何もなくなってしまっていた。
少し、もの悲しい。
そういえば、その古ぼけた官舎類の庭にあたる部分を
ちょうど私が転校してきた春先に、開墾した思い出がある。
ガッコウの授業の一環として、
まずは、固くしまっている雪のたぐいにスコップを入れて、
溶けるのを早める。
雪があらかたなくなってきたら、そのあとはまさに開墾。
芝のような、笹のような怪しげな草が雪のしたから現れ、
それらを根こそぎにする。
土のなかに、スコップをいれて、
ひっくり返し、石や根のたぐいを掘り起こす。
ようやく、まともな土になったところに、
ジャガイモ、カボチャ、トウモロコシを植えた。
夏場は草取りなどをして、水やり。
秋の収穫の直後には、ガッコウの裏手少しのところにある
山間のキャンプ場で、収穫した穀物を夕飯として、
キャンプをした。
あらためて考えると、やはり相当の田舎もんである。
夏休みに入った中学の校庭は、
体育館で部活をしているらしい声が漏れ聞こえてくる程度で、
全体として、夏の日差しが照り返すなか、
とても静かだった。
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